モノを購入したり作り出して使うことはメンテナンスをし続ける必要があるということ。金銭的な余裕があれば使い捨て続けるということができるけど、大抵の場合高価なモノは持ちが良かったりする。またメンテナンスの仕方によっては味がでてくる。
廃墟とか苔むした家とかメンテナンスされなかったがために本来の居住性を捨てた姿は結構好きだ。
システムも作った後はメンテナンスが必要で、使い続ける限りその機能姓を持ち続けなければいけない。システムに味わいは生まれるのか?
たとえば今Windows98の起動画面を見れば懐かしさ補正による趣で郷愁に浸れるだろう。これは味わいだ。天才的に奇妙なプログラミングによるどうでもいいお遊びを楽しむとかもそれっぽくて良い。
12年前のExcelドキュメントは強烈だ。今も苔むした状態で現役である。味わい深さ高すぎて苦味がある。苔むした家というのはあまり見れないからこそ味わい深さが高まる。毎日12年前のExcelを味わってしまうと深まるどころかマリアナ海溝に沈む勢いだ。
今日も空はきれいだった